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2016.12.29 Thursday

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    ビートルズと私(間瀬聡)「15. あとがき(「ビートルズと私」としての帳尻合わせ)」

    2016.12.18 Sunday

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      15. あとがき(「ビートルズと私」としての帳尻合わせ)

       

       

       久しぶりに長い文章を書いて疲れた。映画館でビートルズのドキュメンタリー映画を見て泣いて、自分の音楽人生(半生であることを願う、まだ生きたい)を振り返って、バンドマンを辞めることを報告しようと思ってこの文章を書き始めた。もうすぐ予約していたブルーレイ(もちろんTシャツ付きのコレクターズ・エディションだ)が届く時期だ。この映画は本当に最高。ビートルズのライヴ活動期をピックアップしたドキュメンタリーなのだが、バンドとは何か、その答えが全て詰まっている(もちろん、『ビートルズ・アンソロジー』にも詰まっている)。過酷なツアーを終えた後、兄弟以上の関係だったバンドが、休暇をとったり、家族ができたりすると、バンドへの熱量も変化していく。音楽的に進化するバンドについていけない世間。ジョージはそれを一言で片付ける。僕たちは年を重ね大人になっただけだ、と。

       

       

       『ビートルズと私』というタイトルなのに、半分は「私」だけのことになった(ちなみに『ビートルズと私』という、色んな人がビートルズの思い出を語るドキュメンタリー映画があって、そこから拝借している)だから、せめてこの「あとがき」でもう少しだけ、ビートルズに触れて、帳尻合わせをしようと思う。言いたいことは14章までで全て言った。ここからはおまけだ。

       

       

       ビートルズとカルマセーキの違いはたくさんあるけど、一番大きな違いは、「売れたか売れなかったか」という点だと思う。カルマセーキが売れなかった理由は、僕の努力が足りなかったから、それだけだ。運ではない。才能なんて努力でどうにでもなる。自分では結構頑張ったつもりだったけど、振り返るともっと頑張れたのではないかという点がたくさんある。もう少し売れていれば、活動休止することも、解散することもなかったかもしれない。でも全ては過ぎ去ったことだ。オールシングスマストパスだ(最終章は無理矢理ビートルズネタを増やす)。だけど、もっと売れたかったなあ。『秘密計画』も『鍵は開けてある』も1000枚プレスしたのに、まだ少しだけ残っている。『浮き浮き/ どうかセンセーション』に至っては、売る機会がなかったので、呆れるくらい残っている。大赤字だ。

       

       

       カルマセーキが初めてホームページを作ったときのことを覚えている。僕は語るのが好きなので、そこでもビートルズについて語っていた。ポール再来日のトークイベントでも話したことだが、まず、僕がビートルズに憧れるのは、集合体としてのバンドの美しさ、それに尽きる。それから、ビートルズに影響を受けたバンドは数えきれないが(因数分解してビートルズが出てこないバンドがいたら教えて欲しいくらいだが)、影響のアウトプットの仕方はたくさんあると思う。コピーバンドもいれば、音作りを真似するバンドもいる(これらは楽器のチョイスも重要)。曲構成や歌詞、フレージングを含めたアレンジを真似するバンドもいる。カルマセーキは楽器こそ似ていたが、あからさまなビートルズ感はコーラスくらいなのではないだろうか?僕は自分の曲で一番ビートリーだと思う曲は「Vicious Boy」だ。いわゆる、ライヴ活動を止めた後の、中期のビートルズの感じだ。それよりも僕の中の最大のビートルズエッセンスは、シリアスとユーモラスのバランス感覚だったりする。先に触れたポールの楽曲の振れ幅にも通じるところで、ビートルズの何でもありなところに一番影響を受けた。そして、真面目サイドも悪ふざけサイドも、どちらも魅力的なところがツボだった。ビートルズが真面目ばかりでも、悪ふざけばかりでも、飽きていたと思う。甘さとしょっぱさを交互に繰り返して楽しめるような感じがビートルズにはあった。そこはカルマセーキでも常に意識していた、というよりも、自分が飽き性なので、自分でも聴き飽きない音楽を作ろうとしていたら自然にそうなった。『鍵は開けてある』は今でも飽きずに聴けるので、名盤なのではないかと自分でも思う。

       

       

       僕は中学でギターを始めてから、コピーをするのが苦手だった。練習が嫌いだったからだ。だから、自分でも弾けるオリジナル曲を作って満足していた。ビートルズでも完コピできる曲はないと思う(僕が完コピできるのはオアシスのリアムの物まねだけだ)。それでも人生で何回はかビートルズのカバーはしてきた。カルマセーキでも何度かライヴで披露した。覚えているのは、「Norwegian Wood」「I Feel Fine」「Nowhere Man」「A Hard Day’s Night」「Twist & Shout」、ジョージのソロ曲で「My Sweet Lord」など。大学時代にはビートルズ好きの後輩とビートルズ同好会というバンドを組んで、「Happiness Is A Warm Gun」「Ticket To Ride」「Honey Don’t」、その他のユニットでも「Tomorrow Never Knows」「Day Tripper」などもやった。いつかちゃんとギターも練習して、アルフィーの坂崎さんみたいに何でもできるくらい完コピしてみたいと思う。

       

       

       それから最後に、初めてイギリスに行った時のことを書く。中学からずっとイギリスの音楽やファッションに魅せられてきたのに、今年、2016年まで一度も行ったことがなかった。大学時代の留学も、お金や発音の面などを考慮してカナダにした(それはそれで正解だったのだが。いつかまたトロントに行きたい)。いつか必ず行きたいと思っていたイギリスに、31歳になって、ようやく行けた。ロンドンにAirbnbの宿をとって、ビートルズの故郷リヴァプールと、オアシスの故郷マンチェスターにも立ち寄った。念願のアビー・ロードの横断歩道も渡ったし、スタジオも見たし、リヴァプールではマジカルミステリーツアーのバスにも乗って、ビートルズゆかりの聖地を巡礼した。夜にはキャバーンクラブでこぼしまくるほどビールをおかわりして、見知らぬおばさんや、スペインからの観光客と歌って踊りまくった(ステージの人に、なにか突っ込まれたが、訛っていてよく分からなかった)。この時は、ニューヨークの時と違って、さすがに興奮した。バスツアーに参加して分かったのは、ビートルズのメンバーが本当に近所に住んでいたことである。こんな絵に描いたようなロマンがあるだろうか。世界の片隅の港町のほんの一角に、あれだけの天才が4人も住んでいて、偶然出会うなんていうことがあるだろうか。そのことを想像しただけで涙が出てくる。ビートルズの最大の才能は、メンバー含め、マネージャーのブライアン・エプスタインや、プロデューサーのジョージ・マーティンなど、出会うべき人に、出会うべきタイミングで出会えたという才能だと思う。人は人に影響を受ける。一人では才能を発揮できない。出会いこそ才能を開花させる秘訣だと思う。

       

       

       そういう意味では、僕も出会うべき人に出会う才能はあったのかもしれない(繰り返し言うが、売れなかっただけだ)。これからの人生でも大切にしたいと思える人にたくさん出会えた。もちろん、これから初めて出会う人にも大いに影響されて、それは僕の人生をもっと複雑で面白いものにしてくれるだろう。出会ってくれた全ての人に感謝して、僕もお返しに何か影響を与えられたらいいなと思う。これからもワイルドに生きよう。鳥のように自由に(これもビートルズ)。     

       

      (終わり)

      2016.12.18

       

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