スポンサーサイト

2016.12.29 Thursday

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    ビートルズと私(間瀬聡)「13. 活動休止、解散」

    2016.12.16 Friday

    0

      13. 活動休止、解散

       

       

       2013年から『鍵は開けてある』のリリースツアーを開始した。ツアーと言っても、大阪を拠点に少し遠くまで行っては戻るの繰り返しだった。各地でラジオ出演させてもらったり(MBSラジオでは1ヶ月間冠番組をやらせてもらえた)、CDショップに挨拶回りに行ったり、楽しい経験をたくさんした。ただ、遠くの町では、カルマセーキのことを知っている人は少なく、ライヴの動員は虚しいものが多かったのが事実だ。それでも初見の人達が楽しんでくれるのは嬉しいもので、中でも初めて行った福岡のUTREOは、少人数ながら、もの凄い熱気を感じて一番印象深いライヴになった。

       

       

       ツアーの中頃にメンバーと話し合い、ツアーファイナルワンマンの後、どういう活動をしていくのか話し合った。また新しいアルバムを作って、同じようなこじんまりとしたツアーを繰り返すのは嫌だということになった。少し休養期間をとり、個人でやりたいことにトライして、パワーアップしてからまた始めようと。ライヴ活動を休止して、アルバムをリリースしてから、新曲だらけのライヴを再開することに決めた。僕は作曲に集中する時間がたくさんとれたらいいなと考えていた。ちょうど大学時代にトロントに留学して、カルマセーキの次のステップが見えた時のように。しかし、結局この判断は間違っていた。カルマセーキを始めた頃に思っていた、「止まってはいけない」ということが身に沁みてわかるようになる。

       

       

       630日の梅田Shangri-Laでのワンマンは200人近く動員して、ライヴの内容も過去最高で、2009年から始めた自主企画「これがポップミュージックだ!」の集大成的な、素晴らしいものになった。谷尾さんがエントランスに大きな花を贈ってくれた。実は谷尾さんは『鍵は開けてある』のレコーディングの途中から、カルマセーキを離れていた。それまではプリプロも録音も、フライヤーやアルバムのデザインも、ライヴスタッフも全てやってもらっていたのに、突然、意思の疎通が上手くできなくなり、アルバムが完成するまで会うことはなかった。久しぶりに谷尾さんと2人で会って、お互いに色々な誤解が解けてからは今までずっと仲良くさせてもらっている。そんな谷尾さんが花に添えてくれたメッセージは「青春のサウンドトラックをありがとう」だった。お礼を言わなければいけないのは僕の方だった。谷尾さんがいなければ、カルマセーキはここまで成長できなかった。

       

       

       ワンマンが終わってから、僕は地元名古屋に戻った。仕事もせず、クリエイティブニートとして、実家で曲を作っていた。実家では大滝詠一と、ビートルズ・アンソロジーをよく聴いていた。1ヶ月に3曲ずつくらい作って、メンバーとはインターネットでデモ音源のやり取りを続けていた。月に2回くらいは大阪に行って、スタジオでも練習した。メンバーも新曲には満足してくれているようで、再び竹内さんに相談しながら、新しいアルバムのレコーディングを計画していた。

       

       

       それから活動休止中に、僕は遂に本物のビートルズのライヴを見ることが出来た。ポール・マッカートニーの来日公演だ。1112日の京セラドーム、洸平と一緒に二階席上手側から生のポールを見た。昨年、ビーチ・ボーイズの来日公演で感動して泣いた僕は、ポールのライヴでは泣かなかった。あまりにも現役感溢れるロックスターを目の当たりにして、伝説であるということも忘れ、ひたすら楽しんだ。この人は64歳どころか84歳になっても、水も飲まずに元気にロックンロールしているのではないかと思った。リヴァプールやハンブルグのパブでビールを飲みながらビートルズを見た人達と、同じようにビールを飲んでポールを見ている僕がいる。中学生の頃に想像できただろうか。昔のままのアレンジでビートルズの名曲を惜しみなく演奏してくれる。バンドメンバーもビートルズに対する敬意が感じられて素晴らしかった。全員コーラスしながら演奏しているのが最高にかっこよかった。ポールは10代からずっと変わらない。「Yesterday」をギター1本で弾き語りもするし、「Helter Skelter」で絶叫もする。この振り幅もポールだ。改めて、これこそ僕の理想のバンドだと思った。

       

       

       話をカルマセーキに戻す。2014年に新作のプリプロを開始し、アルバム(タイトルは『浮き浮き』に決めていた)のレコーディングの日取りまで決めていたにも関わらず、このままでは『鍵は開けてある』を越えられないのではという話になり、中止になった。それから、間もなくして、洸平からグループラインで脱退したいとの連絡があった。20141014日、梅田の居酒屋にメンバーと野木さん5人で集まり、ミーティングをした。カルマセーキへの思い入れは、洸平が僕の次に強かったと思う。洸平がいなくなったら、カルマセーキは終わると確信した。僕らは泣きながら話し合い、何度も説得したが、脱退は防げなかった。山ちゃんも辞めることになった。メンバーと言えども、人の人生だ。僕の思い通りには出来ない。

       

       

       僕はカルマセーキを解散させたら、自分も音楽を辞めようか悩んだ。Hook Up Recordの吉見さんや、奥(ボウイ)さん、松浦さん、エレクトリックギュインズの前田栄達さんにも相談に乗ってもらって、大阪で朝まで飲んで、始発の近鉄で名古屋に帰った。結局、僕は諦めることを諦めた。実紗はまだ一緒にやると言ってくれたので、2人で新しいメンバーを探した。カルマセーキの曲は、もっと多くの人に聴いて欲しいから演奏し続けることにした。だけど、洸平と山ちゃんなしではもうカルマセーキと名乗れない。かけがえのないメンバーだった。そして、カルマセーキの解散と、その続編であるサルバ通り結成を2015210日に発表した。

       

       

      「14. サルバ通り」に続く

       

      スポンサーサイト

      2016.12.29 Thursday

      0
        コメント
        コメントする