スポンサーサイト

2016.12.29 Thursday

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    ビートルズと私(間瀬聡)「12. カルマセーキ(2010~2012)」

    2016.12.16 Friday

    0

      12. カルマセーキ(2010~2012)

       

       

       イオで優勝して賞金100万円を得た。新曲も溜まってきたので、アルバムのレコーディング費用に使うことにした。タイトルは最初から決まっていた。『秘密計画』だ。グリーンズの無料配布CDは、アルバムからのパイロットシングルとして『フェスティヴァル・デイ』を出すことになった。「フェスティヴァル・デイ」に決まるまで、グリーンズでのミーティングは大いに難航した。僕が、歌詞で伝えたいメッセージなんてない、という発言をして、じゃあ私たちは何を応援したらいいの、と険悪なムードになった。実際、僕は歌詞で伝えたいメッセージなどなかった。かっこいいサウンドに、美しいメロディ、そこに面白い言葉がのっていればよかった。ビートルズの曲でもジョンのナンセンスな言葉遊びを気に入っていた。だけど、今はこう思う。ビートルズこそ、たくさんのメッセージを歌っていたし、歌詞が酷い曲はいくらメロディがよくても聴けたものではない。歌は歌詞だ。歌詞こそはすべてだ。ボーカルの声と、いい歌詞がマッチして初めてグッとくるものがある。言葉をずっとサウンドとして捉えてきた僕が、少しずつ、照れ隠しの似非文学的かっこつけ意味深風歌詞から、脱却を図ろうとし始めた時期だった(それでもまだだいぶひねくれていたが。後に出会う竹内修さんには「君の歌詞には逡巡が多すぎる」と言われたほどだ)。

       

       

       3枚目のアルバム『秘密計画』のレコーディングでは色々成長できた。ドラムとベースとアコースティックギターはすべて京都のMothership Studioで録音した。この時期に、カルマセーキの活動において、コムとの温度差を感じるようになり、十三のミスタードーナッツで話し合った結果、コムが脱退することになった。『フェスティヴァル・デイ』のジャケットにもコムはもういなかった。まだ録音していない2曲が残っている段階だった。コムと最後に一緒に演奏したライヴを思い出せない。特別な感じはしなかった。コムは辞める時に、カルマセーキの音楽は好きだから、これからも聴くけど、今後カルマセーキの曲を弾くこともなくなると思うと少し寂しいと言っていた。コムは自分が考えたベースで一番好きなのは「バラード」らしい。曲は「アヴァンギャルド」が好きだとも。僕もバラードでのコムのベースは好きだ。コムはライヴでノってくるとうねうねしながら弾くのがかっこよかった。うねるように歌を邪魔せずに歌うベースラインもコムらしい。いいベーシストで、ナイスキャラで、コムがいなくなることで、バンドの雰囲気は結構変わってしまうだろうという不安はあった。だけど、バンドは正直な気持ちを騙しながらは続けられない。新メンバーを募集しよう。

       

       

       「見放題」という関西のサーキットイベントに出演していた山田祐太郎という人物について、僕ら3人はリサーチした。今は一人で弾き語りをしているシンガーソングライターだが、どうやら以前は他のバンドでベースを弾いていた、という情報を仕入れた。洸平と実紗が、山田さんのライヴを見に行った。そこでライヴ後に話すことに成功した。いい人そうだ、という印象。そこで、今度は僕と山田さんで差し飲みして、口説き落とそうとするも、なかなか上手くいかず、2次会でpara-diceの楽屋に行き、スタッフの安井さんにも熱く語ってもらって、ようやくサポートでの参加を引き受けてもらえたのだ。

       

       

       スタジオでは、グルーヴが出るようにお互い敬語はやめようというところから始まった。山田さんは3歳年上だったが、その日から山ちゃんになった。山ちゃんは面白かった。サポートなのに、初日から「バケツの花」のコード進行を少し変えようと言い出した。控えめなようで、実は熱い人、それが山ちゃんだ。その後も、ライヴを重ねるたびに、山ちゃんのコミュニケーション能力の高さに、僕らは圧倒されていくことになり、どんどん彼が好きになっていった(服装がダサかったので、そこは徐々改善させていった)。結局、山ちゃんはサポートのまま、『秘密計画』では2曲ベースを弾いた。アルバム最終曲の「憧れのまま」と、ANATAKIKOUの松浦正樹さんプロデュース曲「origo」だ。どちらもいいベースだが、まだあまり山ちゃんらしさは出ていない。

       

       

       アルバムのジャケットも、ボローニャ絵本原画展で見つけた青木由子さんに書き下ろしてもらうことが決まり、順調に進んでいた。初のMVを録ることになり、ベースがいないのは絵的に寂しいので、山ちゃんも「もぬけの殻」の撮影に参加してもらった。この時、新しいアーティスト写真を撮ったのだが、山ちゃんが入っているのと、入っていないのと2パターン撮影した。こちらはなんとしてもアルバムリリースまでに山ちゃんを正式メンバーにしたいので、変な駆け引きが続いていたのだ。バンドって難しい。

       

       

       撮影の後日、スタジオ終わりのミーティングでずばり、山ちゃんに加入の意思を問うた。そこでようやく、山ちゃんが正式メンバーになることが決定した。山ちゃん入りバージョンの写真を撮っておいてよかった。ただ、その時は山ちゃんの加入発言のすぐ後に、実紗と野木さんが付き合っている発言があって、完全に山ちゃんのニュースはかき消された。帰りの電車で、「頑張るわぁ」と言っていた山ちゃんが妙に切なげで面白かったのを覚えている。

       

       

       こうしてサードアルバム『秘密計画』は新メンバーを加えた4人体制で、2011223日にリリースされた。初めてタワーレコードでのインストアライヴをさせてもらったのだが、前日に東日本大震災が起こり、忘れられないライヴになった。その後のツアーもキャンセルが続いたり、自粛モードがあったりと色々大変だったけれど、僕らはどんどんバンド感を増していった。山ちゃんという歌えるベーシストを迎えたことによって、カルマセーキのビートルズ化は促進された。今まで以上にコーラスが分厚くなり、ライヴでのコーラスの分厚さは、カルマセーキ最大の特徴になっていった。

       

       

       この時期は前よりもスタジオに長く入るようになっていた。大阪芸術創造館で週に一度、6時間ほど練習した。山ちゃんオススメのボイストレーニングをみんなでやって、コーラスの練習にもより力を入れた。そんな風にして、フェスティヴァル・デイのライヴクオリティも上がり始めた頃、東京でのライヴにスピッツのディレクターをされている竹内修さんが見に来てくれた。ライヴを褒めてもらい、CDを全種類買ってもらってしまった。そしてそれ以降、僕らが東京遠征する際には必ず見に来てくださるようになった。後日、東京のレストランでミーティングして、次のアルバムを一緒に作りたいと言ってもらえた。僕は初めて自分の意思で、自分のお金で買ったCDがスピッツの「渚」だった。初めて自分で電話してチケットを買ってライヴを見に行ったのもスピッツだ。そのスピッツを発掘して、ずっと一緒に音楽制作してきた人に認められて、一緒に自分のバンドのアルバムが作れる。音楽を続けてきてよかったと心から思った。

       

       

       ライヴは本数が増えていった。実紗が会社を辞めたことで、平日にもライヴができるようになっていた。4月にはFM802のヒロ寺平さん主催の野外イベント、New Breezeにも呼んでもらえた。初めて山ちゃんと一緒に立つ大きなステージだった。当日は結構な雨だし、洸平が珍しくギターの弦は切るしで大変だったが、この時カルマセーキを知ってくれた人も多くて、その後もライヴハウスに来てくれるお客さんが増えて嬉しかった。

       

       

       僕らのライヴの評判も少しずつ良くなり、他のバンドのイベントに誘われることも増えたり、テレビやラジオの出演が増えたり、共演者がどんどん豪華になっていったりした。ANATAKIKOUとの2マンツアーも嬉しかった。バンドを始めた時期の対バンを思い出すと、いかに今の自分が恵まれた環境で音楽をやれているか痛感した。それでも、もっと売れたい、もっと多くの人に自分の曲を聴いてもらいたいという気持ちは膨らむ一方だった。

       

       

       『秘密計画』に続くアルバムは、当初キャッチーなポップロックアルバムにしようと話し合っていた。実際、ライヴでも「風のアシスト」や「幻」という、耳障りの良い新曲を試していた。それはそれで受けもよかったのだが、自分達の中では何か物足りないような気がしていた。コーラスを意識した曲作りにシフトして行ったのはいいが、それまでのカルマセーキらしさが圧倒的に足りていなかった。そこでやはり、やりたいようにマニアックなこともどんどんやる路線に舞い戻ることにした。そうして立て続けに出来たのが、「Waiting For You」「サガポー・ティアモ・ラヴャ」「伽藍堂」「若気の至り」の4曲だ。これらはストックしていた曲ではなく、2012年になって自然と湧いてきた。クリエイティブなモードに入ったのかもしれない、と実感した。山ちゃんも粋な曲を作ってくれて、僕はそれに一番自由に歌詞を書けた気がする。「魔の精と迷走」は、売れないバンドマンとして生活している自分へのメッセージソングでもあった。他の曲も僕の中では比較的メッセージ性の強いものになったと思う。これはまさに竹内さんのディレクションのおかげだった。島田洋七が「話し言葉はひらがなだ」と言っていたのをヒントに、「歌詞もひらがなだ」と、耳から入る言葉を前よりも意識して書くようになった。歌詞を書いた時期が短いスパンだったので、アルバムを通して、何となく統一感のある歌詞になったと思う。大きなテーマは「自分次第」「やってみなけりゃわからない」だ。当初、アルバムのタイトルは『V』になる予定だったが、少し無機質過ぎる嫌いがあるので、最終的に『鍵は開けてある』に落ち着いた。アルバムの内容を総括する、良いタイトルになったと思う。音楽的にも竹内さんと何度もやりとりして、贅肉を削ぎ落とし、よりタイトにポップに引き締まった。雄登に紹介してもらった神永大輔さんの尺八もキレキレだった。アルバムを作るたびに、自己新記録を更新している気がして、幸せだった。あとはかっこいいライヴをして、アルバムを売りまくるのだ。4枚目のアルバム『鍵は開けてある』20121128日リリース。

       

       

      「13. 活動休止、解散」に続く

      スポンサーサイト

      2016.12.29 Thursday

      0
        コメント
        コメントする