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    ビートルズと私(間瀬聡)「9. カルマセーキ(大学時代前期)」

    2016.12.15 Thursday

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      9. カルマセーキ(大学時代前期)

       

       

       「ビートルズと私」というテーマで書き始めたのが、いつしか自分の音楽ヒストリーを語り出している。でも、ビートルズなくして僕の音楽生活はなかったわけだし、僕の音楽性がいかにして変わっていったのかも書いておきたいと思う。センター試験も大学の入試も、僕はMDに録音したオアシスの「Rock ‘n’ Roll Star」を試験前に聞いて闘志を燃やしていた。志望校は大阪外国語大学にした。大阪外大の英語科を選んだ理由は、住んだことのない町で一人暮らししてみたかったのと、将来、ロンドンのアビーロードスタジオでレコーディングをすることになっても、通訳なしで話せると思ったからだ。運が味方してくれたのか、模試でもずっと微妙な判定だったにも関わらず合格した。本番に強いと自分でも思った。正直、受かると思っていたなかったので、浪人するつもりで、滑り止めを一つも受けていなかった。安上がりだった。もし次に何か試験を受けることがあれば、縁起を担いでまたオアシスを聴くだろう。

       

       

       大学ではもちろん軽音サークルに入った。小さい大学ながら、2種類の軽音サークルがあった。「軽音楽部」と「ミュージック・ソサエティ」だ。僕はどちらかというと硬派なので、名前が普通の「軽音楽部」に入部した。僕の期待に反して、軽音ではオリジナルをやっている先輩達はほとんどいなかった。みんな、季節ごとの定期演奏会でその場限りのバンドを組んでは好きな曲をコピーしていた。そんな中、一人だけ気になる先輩がいた。馬田淳一さんだ。天然パーマのボサボサ頭で、謎の服を着て、アーティスティックだなと思った。馬田さんが、夏祭りに「ウマバン」というバンドでオリジナル曲を演奏しているのを見て、衝撃を受けた。基本的なバンド編成に、外大ならではのアフリカン打楽器も導入していた。何より、その時の馬田さんに学んだのは「かっこつけないことがかっこいい」ということだった。馬田さんはきれいな声で印象的なメロディを歌い、なぜか時々変な声を出していた。今思えば、それが「学生的」であったのだが、軽音では「キモい」が一種の誉め言葉と化していた。その頃は、ストロークスが流行って、ロックンロール・リヴァイヴァルの影響を受けていたこともあり、僕もかっこつけたがっていた。しかし2003年の夏以降、僕も次第に「キモく」なり、新たに違うタイプの曲も作るようになった。大阪に来る前にコメ兵で買ったMTRで、バンドアンサンブルで曲を作り始めた頃だった。

       大学2年(2004)の新入生歓迎ライヴで、1年上の先輩とバンドを組んで、初めてまともにオリジナル曲を披露した。カルマセーキの前進バンド「アロエ」である。メンバーは僕、ベースの蒲原明佳さんと、ドラムの鈴木雄也君の3人。「アオスジアゲハ」「キングキング」「サンチマンタリスム」の3曲を演奏した。すごく下手だったけど、これは楽しいと思った。高校の時よりも充実感があった。なによりも、蒲原さんと鈴木君が曲を褒めてくれたのが嬉しかった。それ以降もずっと変わらないことだが、バンドメンバーが新曲を褒めてくれる瞬間が一番嬉しかったりする。バンドの曲を愛してくれる人と一緒に演奏できることが幸せなのだ。

       

       

       夏には近畿大学にいた芳充をギターに誘って、4人組で夏祭りの野外ステージに応募した。馬田さんを見た憧れのステージだ。が、当然僕らは下手だったので落選した。芳充も、大学が違うことで時間が合わず(なんせ僕らはいつも外大の部室で練習していたから)、また3人に戻った。

       

       

       夏祭りに落ちたことで気合いを入れ直そうと思い、バンド名を変えることにした。何がきっかけだったか忘れたが、確か自分のペンネームを作ろうとしていたんだと思う。ルイス・キャロルが自分の名前をもじったように。ナンセンスとか、言葉遊びに意欲的だった時期だった。ルイス・キャロルとは違うやり方だけど、「間瀬」の「ま」で終わる言葉と、「せ」で始まる言葉をくっつけて、響きのいい造語を作ろうとした。多分、そんなノリだったと思う。だからよく「カルマセーキって間瀬だからか」と言われると、「いや、安部公房の『S・カルマ氏の犯罪』から採ってる」と答えていたが、結局そういうことなのかもしれない。もちろん、カルマは仏教よりもむしろ安部公房の作品に由来しているし、「S・カルマ」の本名を「セイキ・カルマ」にして、「ミルクセーキ」の語感の良さに近づけたという道筋もある。カタカナにすることで「世紀」「正気」「正規」「性器」などと色んな意味に採れるのがビートルズ的でいいとも思った(ビートルズはジョンがbeatbeetleをもじってつけた)。そして、その個人的なペンネームが一時的に気に入って、バンド名にしてしまえ、ということだったのだろう。蒲原さんと鈴木君もそっちの方がいいと言ったので、まあいいかと思った。

       

       

       軽音の梅雨時ライヴというイベントに、初めてカルマセーキと名乗って参加した。メンバーは僕ら3人と、シェイカーとコーラスで後輩を2人(一人は後のバンドメイト大塚洸平)、チェロとバイオリンを弦楽部の人に弾いてもらった7人編成だった。曲は「ややこしやまんさい」、「The Fall Sun」(唯一の全編英語詞)、「サンチマンタリスム」の3曲。これもまた下手なライヴだったが、自由度が増して、もっといろんな音楽がやりたくなった。もう3人では再現できないし、僕のギターが下手だったので、次に控えている間谷祭(学園祭)でのライヴに4学年上の先輩の谷尾知則さんにサポートでギターを依頼した。当時はそれほど親しかった訳でもなく、なぜ谷尾さんに頼んだのかはよく覚えていないが、その後もずっと一緒に音楽を作っていくことになるとは思いもしなかった。人生って面白い。

       

       

       1ヶ月ほど練習して、僕らは間谷祭でフルオリジナルのライヴをやった。出囃子はビートルズの「Tomorrow Never Knows」。セットリストを覚えている。

       

      1. 徒然草
      2. キングキング
      3. アオスジアゲハ
      4. The Fall Sun
      5. タイの王様
      6. 半分頭のいい魚
      7. 無花果
      8. サンチマンタリスム
      9. センス

       

      これが僕の二十歳の音楽だ。高校時代に作った4曲と、大学に入ってから作った5曲。振り返っても見ても自分らしさがあるなと思う。やりたいことを詰め込みまくったのは高校時代と変わらない。だけど、これは全て僕が作った、僕だけの音楽だ。それを気に入ってくれた仲間が一緒に演奏してくれた。この日のライヴは、緊張感と高揚感と、今までにないアドレナリンが出て、すごく面白かった。軽音の先輩にも、間瀬君にライヴの本質を教えてもらったわ、と褒めてもらえて嬉しかった。小さい大学のさびれた講義室でのライヴ。これは最高だし、ずっとやりたいなと思った。カルマセーキ、かっこいい。そう思い込んだ。思い込みは大事だ。ただ、この充実感のあと、カルマセーキは沈黙した。2005年の4月になって、蒲原さんがドイツに、鈴木君がキューバに留学して(外大生の多くは休学や留年や留学でのんびり大学時代を送る)、僕はまた一人になった。そして、この年の夏祭りの野外ステージの為に、もう一度メンバーを寄せ集め、念願かなって馬田さんと同じステージに立てたのである。

       

       

      「10. カルマセーキ(大学時代後期)」に続く

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